作 ドン・フリーマン
訳 さいおんじさちこ
発行 ほるぷ出版
初版 1975/10/25
対象年齢 4歳から
文字の量 やや少なめ
ページ数 44
発行部数 不明
オススメ度 B
ターちゃんは両親と砂浜にやってきました。毎年夏休みにここでキャンプをするのです。
今年は初めて一人で魚釣りをします。新しい長靴も買ってもらいました。毎年ここで出会う年老いたペリカンの事を思い出しながら釣りの準備をし、釣り竿とバケツを持って砂浜を駆け下りていきます。
波打ち際に着くと、去年さよならした時と同じ杭にペリカンはとまっていました。しばしペリカンとお話した後、ターちゃんは釣りの餌を探そうと水鳥の後を追いかけますが、速く走れないため長靴を脱いでしまいます。
ペリカンに誘われて杭の一つに腰掛けるターちゃん。ペリカンに魚をとるところを見せてもらったりする内に、潮が満ちてきて長靴が流されてします。ペリカンがどこかに飛んでいった後、ようやく長靴に気づいたターちゃんは釣り竿で長靴の片方だけは釣り上げます。中には魚が入っていました。
潮が引いて砂浜に降りたターちゃん。もう夕暮れです。片方の長靴を持ってもう片方を探しますが見つかりません。その内にお父さんが呼ぶ声が聞こえてきたので帰ることにします。
砂山を登っていくとペリカンがじっと待っていました。
独特の雰囲気のある作品です。夏のある日の海辺での少年の小さな体験を詩情豊かに描いています。
作者のドン・フリーマンさんの作品は他に『くまのコールテンくん』を読んだことがあります。今回本作も読んでみて思ったのですが、どちらも独り言が多いんですね。独り言が多いというのは主人公が孤独ということもあるでしょうが、作品が子どもの心の中を描いているということです。そして作者はその子どもの心の中の世界に寄り添っているんですね。一歩引いて見守る親の視線と言ってもいいかも知れません。そんな中で主人公は自由に自分で見、考え、行動し、その中で何か小さな事を発見したり学んだりするのです。どちらの作品もお話自体は何ということもない(失礼!)んですけど、子どもによってはとても共感しやすいかと思います。
絵は色鉛筆で描かれているのでしょうか。ターちゃん家族は昼間に海に着くのですが、それから夕方を経て、そして夜へと、海辺の景色が美しく変化していくのが抒情的に描かれています。見返しには、月明かりに照らされた海とペリカンを浜に座って一人眺めるターちゃんが描かれていて、これがまたいいのです。親の手から離れたところで孤独に美しい自然を見つめる少年の姿。詩的ですね。
強いて一つだけ難点をあげるとしたら、ペリカンというのは日本の子どもにはちょっと馴染みが薄いですよね。しかもちょっと変わったお姿。親しみを持って見れるかどうか微妙なところですね。
その後のお話の展開ですが…ペリカンはもう片方の長靴を持ってきてくれたのです。男の子はお礼に長靴に偶然入っていた魚をあげます。その夜男の子は潮の満ち引きやペリカンの様子など今日知ったことを夕食の席で両親に話すのです。
訳 さいおんじさちこ
発行 ほるぷ出版
初版 1975/10/25
対象年齢 4歳から
文字の量 やや少なめ
ページ数 44
発行部数 不明
オススメ度 B
ターちゃんとペリカン のあらすじ・内容
ターちゃんは両親と砂浜にやってきました。毎年夏休みにここでキャンプをするのです。
今年は初めて一人で魚釣りをします。新しい長靴も買ってもらいました。毎年ここで出会う年老いたペリカンの事を思い出しながら釣りの準備をし、釣り竿とバケツを持って砂浜を駆け下りていきます。
波打ち際に着くと、去年さよならした時と同じ杭にペリカンはとまっていました。しばしペリカンとお話した後、ターちゃんは釣りの餌を探そうと水鳥の後を追いかけますが、速く走れないため長靴を脱いでしまいます。
ペリカンに誘われて杭の一つに腰掛けるターちゃん。ペリカンに魚をとるところを見せてもらったりする内に、潮が満ちてきて長靴が流されてします。ペリカンがどこかに飛んでいった後、ようやく長靴に気づいたターちゃんは釣り竿で長靴の片方だけは釣り上げます。中には魚が入っていました。
潮が引いて砂浜に降りたターちゃん。もう夕暮れです。片方の長靴を持ってもう片方を探しますが見つかりません。その内にお父さんが呼ぶ声が聞こえてきたので帰ることにします。
砂山を登っていくとペリカンがじっと待っていました。
ターちゃんとペリカン の解説・感想
独特の雰囲気のある作品です。夏のある日の海辺での少年の小さな体験を詩情豊かに描いています。
作者のドン・フリーマンさんの作品は他に『くまのコールテンくん』を読んだことがあります。今回本作も読んでみて思ったのですが、どちらも独り言が多いんですね。独り言が多いというのは主人公が孤独ということもあるでしょうが、作品が子どもの心の中を描いているということです。そして作者はその子どもの心の中の世界に寄り添っているんですね。一歩引いて見守る親の視線と言ってもいいかも知れません。そんな中で主人公は自由に自分で見、考え、行動し、その中で何か小さな事を発見したり学んだりするのです。どちらの作品もお話自体は何ということもない(失礼!)んですけど、子どもによってはとても共感しやすいかと思います。
絵は色鉛筆で描かれているのでしょうか。ターちゃん家族は昼間に海に着くのですが、それから夕方を経て、そして夜へと、海辺の景色が美しく変化していくのが抒情的に描かれています。見返しには、月明かりに照らされた海とペリカンを浜に座って一人眺めるターちゃんが描かれていて、これがまたいいのです。親の手から離れたところで孤独に美しい自然を見つめる少年の姿。詩的ですね。
強いて一つだけ難点をあげるとしたら、ペリカンというのは日本の子どもにはちょっと馴染みが薄いですよね。しかもちょっと変わったお姿。親しみを持って見れるかどうか微妙なところですね。
その後のお話の展開ですが…ペリカンはもう片方の長靴を持ってきてくれたのです。男の子はお礼に長靴に偶然入っていた魚をあげます。その夜男の子は潮の満ち引きやペリカンの様子など今日知ったことを夕食の席で両親に話すのです。
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