文 あまんきみこ
絵 二俣英五郎
発行 サンリード
初版 1984/8/20
対象年齢 5歳から
文字の量 やや少なめ
ページ数 32
発行部数 不明
オススメ度 B
お腹を空かせたキツネが歩いていると、やせたヒヨコが歩いてきました。食べてやろうと思いましたが、やせているのでもう少し太らせてからの方がいいなと考え直しました。ヒヨコはいい住処を探していると言うので、それなら俺の家に来なよと誘いました。ヒヨコは「キツネお兄ちゃんって優しいね」と言ってついてきました。キツネは生まれて初めて優しいなんて言われたもので少しボーッとしてしまいました。
キツネの家で優しくご飯をいただいたヒヨコはキツネの思惑通り丸々太っていきました。そしてある日散歩に行きたいと家を出ました。キツネはヒヨコが逃げるつもりなのだろうと、気付かれないように後をつけました。
ヒヨコはやせたアヒルに会いました。話してみるとアヒルはいい住処を探しているようです。ヒヨコは「キツネのお兄ちゃんの家がいい」と誘います。アヒルは最初キツネに食べられるのではないかと心配しましたが、ヒヨコに「キツネお兄ちゃんは親切だから」と言われてついてきました。キツネは陰でそれを聞いてうっとりしました。
キツネは親切にヒヨコとアヒルにご飯をご馳走しました。そうしてキツネは「アヒルも太ってきたぜ」と心のなかで思っていました。
ある日ヒヨコとアヒルは散歩に出かけます。逃げるつもりだなと考えたキツネは後をつけます。ヒヨコとアヒルはやせたウサギに会いました。ウサギもいい住処を探しているようです。ヒヨコはキツネの家がいいと誘いますがウサギは心配です。でもヒヨコに「キツネお兄ちゃんは神様みたいなんだよ」と聞いたウサギはついていくことにしました。これを陰で聞いたキツネはうっとりして気絶しそうになりました。
キツネはヒヨコとアヒルとウサギを神様のように育てました。「ウサギも太ってきたぜ」
ある日山からオオカミが下りてきました。ヒヨコとアヒルとウサギとキツネの匂いに気づきます。
上記に書いたあらすじの部分はちょっとコミカルな味わいもありますね。しかしその後お話が終盤に入って思いがけないような展開になります。キツネのキャラクターがとても人間臭くて悪者役なんだけど憎めないです。憎めないだけにこの展開は悲しいです。映画やドラマにもありそうなキャラクターとお話です。でも悲しいだけじゃないんです。キツネはそれまでに経験したことのない幸せを感じていたでしょうから。
キツネは当初ステレオタイプの狡猾ななキツネキャラでした。しかしヒヨコが、アヒルが、ウサギが自分を褒めてくれる事、信頼してくれる事で自分でも気づかない内に今までなかったものが心のなかに育っていきます。いい人間だから信じられるのか、信じてもらうからいい人間になれるのか、鶏が先か卵が先かの議論のようですが、少なくともヒヨコとの出会いがキツネにキッカケを与えた事は疑いないでしょう。子育てにも通じるものがあるように思います。そしてまた親の立場からヒヨコを見ると、我が子を大切に思う親の気持ちは、何の疑いもなくただ純粋に自分を慕ってくれる我が子故かも知れないとも思います。
その後の展開です。キツネは勇ましく死力を尽くして自分より遥かに大きなオオカミと戦います。オオカミは逃げていきます。しかしその晩傷ついたキツネは死んでしまいます。残った3匹はキツネのお墓を作って涙を流すのです。キツネが死んだ場面の文章がすごくいいです。『そのばん。きつねは、はずかしそうに わらって しんだ。』これだけ。皆まで言わない、わずかに匂わせるだけの文章がすごくいいです。(ただここがわかるには読者の子どもにある程度の読解力が必要でしょうけどね。)キツネが死ぬ場面は突然ホントに唐突に目の前に現れます。流れを突如断ち切るように現れたこの死の場面そしてこの短い文章に読者は釘付けになってしまうのです。
自分以外の人のために何かをすることで自分の価値を知る。それが自分の幸福につながっていく。言葉にするとホンマかいなとそれこそキツネのように嘯いてしまいそうだけど、絵本だとそんな人生の秘密が自然にしんみりと心に入ってきます。
ほとんどすべて見開き2ページ。絵の周りには枠があって紙芝居を見ているような効果があります。ある意味ではこれは虚構ですよと言っているようにも思われます。ところが作中二ヶ所だけ、この枠が無いページがあるんですね。ここは虚構ではないリアルとして見てもらいたいという作者の意図でしょうか。あるいは素直でないキツネが自分の中の欺瞞を取り払った数少ない場面として表現したのでしょうか。その二ヶ所とは、キツネがオオカミと勇ましく戦う場面、そして3匹がお墓の前で涙を流す場面です。
お話の最後に結びの言葉として『とっぴんぱらりの ぷう。』という文が入っているんです。昔話なんかにもよくありますよね。こういうのは、物語が終わって読者の子どもが現実に戻る合図のようなものだと何かで読んだことがあります。本作でもそういう意図で付けられたのかも知れません。この作品全体の文章は軽快なざっくばらんな言葉遣いが印象的なのですが、そこへきてこの最後の『とっぴんぱらりの ぷう。』が来ると、悲劇的なお話でありますがそこをことさら強調して下品になってしまうことを避けた気骨のある表現ではないかという気もします。またそういう表現であるからこその切なさもあると思います。同じような感触を『ごろはちだいみょうじん』という絵本でも感じました。
このお話は小学校の二年生の教科書にのっていた事があるそうですよ。対象年齢は『5歳から』にしました。深く理解するのは難しいでしょうけど5歳位でもその年齢なりに楽しめるでしょうし、もっと大きくなってからでももっと理解が深まりながら十分楽しめますし、大人が読んでも素晴らしい作品と言っていただけると思います。
この作品では、キツネの心境がその都度、そして徐々に変化していくさまがその表情の中に巧みに表されています。また絵をよく見てみると筋とは関係ないところに虫やカタツムリなどが添えられていて子どもは興味を持ちそうです。昔話にぴったりの絵柄でもあります。この絵を書いた二俣英五郎さんの作品を他にも紹介しています。 → 『とりかえっこ』こちらはとてもコミカルな作品です。
あまんきみこさんの作品も他にもご紹介しています。 → 『ちいちゃんのかげおくり』『おにたのぼうし』
『きつねのおきゃくさま』は音楽劇として演じられてもいるようです。CDや楽譜も販売されています。例えばこんなの → こちら
他の『5歳から』の絵本一覧
絵 二俣英五郎
発行 サンリード
初版 1984/8/20
対象年齢 5歳から
文字の量 やや少なめ
ページ数 32
発行部数 不明
オススメ度 B
きつねのおきゃくさま のあらすじ・内容
お腹を空かせたキツネが歩いていると、やせたヒヨコが歩いてきました。食べてやろうと思いましたが、やせているのでもう少し太らせてからの方がいいなと考え直しました。ヒヨコはいい住処を探していると言うので、それなら俺の家に来なよと誘いました。ヒヨコは「キツネお兄ちゃんって優しいね」と言ってついてきました。キツネは生まれて初めて優しいなんて言われたもので少しボーッとしてしまいました。
キツネの家で優しくご飯をいただいたヒヨコはキツネの思惑通り丸々太っていきました。そしてある日散歩に行きたいと家を出ました。キツネはヒヨコが逃げるつもりなのだろうと、気付かれないように後をつけました。
ヒヨコはやせたアヒルに会いました。話してみるとアヒルはいい住処を探しているようです。ヒヨコは「キツネのお兄ちゃんの家がいい」と誘います。アヒルは最初キツネに食べられるのではないかと心配しましたが、ヒヨコに「キツネお兄ちゃんは親切だから」と言われてついてきました。キツネは陰でそれを聞いてうっとりしました。
キツネは親切にヒヨコとアヒルにご飯をご馳走しました。そうしてキツネは「アヒルも太ってきたぜ」と心のなかで思っていました。
ある日ヒヨコとアヒルは散歩に出かけます。逃げるつもりだなと考えたキツネは後をつけます。ヒヨコとアヒルはやせたウサギに会いました。ウサギもいい住処を探しているようです。ヒヨコはキツネの家がいいと誘いますがウサギは心配です。でもヒヨコに「キツネお兄ちゃんは神様みたいなんだよ」と聞いたウサギはついていくことにしました。これを陰で聞いたキツネはうっとりして気絶しそうになりました。
キツネはヒヨコとアヒルとウサギを神様のように育てました。「ウサギも太ってきたぜ」
ある日山からオオカミが下りてきました。ヒヨコとアヒルとウサギとキツネの匂いに気づきます。
きつねのおきゃくさま の解説・感想
深いお話なんです
上記に書いたあらすじの部分はちょっとコミカルな味わいもありますね。しかしその後お話が終盤に入って思いがけないような展開になります。キツネのキャラクターがとても人間臭くて悪者役なんだけど憎めないです。憎めないだけにこの展開は悲しいです。映画やドラマにもありそうなキャラクターとお話です。でも悲しいだけじゃないんです。キツネはそれまでに経験したことのない幸せを感じていたでしょうから。
信じること、信じられること
キツネは当初ステレオタイプの狡猾ななキツネキャラでした。しかしヒヨコが、アヒルが、ウサギが自分を褒めてくれる事、信頼してくれる事で自分でも気づかない内に今までなかったものが心のなかに育っていきます。いい人間だから信じられるのか、信じてもらうからいい人間になれるのか、鶏が先か卵が先かの議論のようですが、少なくともヒヨコとの出会いがキツネにキッカケを与えた事は疑いないでしょう。子育てにも通じるものがあるように思います。そしてまた親の立場からヒヨコを見ると、我が子を大切に思う親の気持ちは、何の疑いもなくただ純粋に自分を慕ってくれる我が子故かも知れないとも思います。
お話は急展開
その後の展開です。キツネは勇ましく死力を尽くして自分より遥かに大きなオオカミと戦います。オオカミは逃げていきます。しかしその晩傷ついたキツネは死んでしまいます。残った3匹はキツネのお墓を作って涙を流すのです。キツネが死んだ場面の文章がすごくいいです。『そのばん。きつねは、はずかしそうに わらって しんだ。』これだけ。皆まで言わない、わずかに匂わせるだけの文章がすごくいいです。(ただここがわかるには読者の子どもにある程度の読解力が必要でしょうけどね。)キツネが死ぬ場面は突然ホントに唐突に目の前に現れます。流れを突如断ち切るように現れたこの死の場面そしてこの短い文章に読者は釘付けになってしまうのです。
幸せとは何か
自分以外の人のために何かをすることで自分の価値を知る。それが自分の幸福につながっていく。言葉にするとホンマかいなとそれこそキツネのように嘯いてしまいそうだけど、絵本だとそんな人生の秘密が自然にしんみりと心に入ってきます。
枠のないページ
ほとんどすべて見開き2ページ。絵の周りには枠があって紙芝居を見ているような効果があります。ある意味ではこれは虚構ですよと言っているようにも思われます。ところが作中二ヶ所だけ、この枠が無いページがあるんですね。ここは虚構ではないリアルとして見てもらいたいという作者の意図でしょうか。あるいは素直でないキツネが自分の中の欺瞞を取り払った数少ない場面として表現したのでしょうか。その二ヶ所とは、キツネがオオカミと勇ましく戦う場面、そして3匹がお墓の前で涙を流す場面です。
語り口はあくまでも軽快
お話の最後に結びの言葉として『とっぴんぱらりの ぷう。』という文が入っているんです。昔話なんかにもよくありますよね。こういうのは、物語が終わって読者の子どもが現実に戻る合図のようなものだと何かで読んだことがあります。本作でもそういう意図で付けられたのかも知れません。この作品全体の文章は軽快なざっくばらんな言葉遣いが印象的なのですが、そこへきてこの最後の『とっぴんぱらりの ぷう。』が来ると、悲劇的なお話でありますがそこをことさら強調して下品になってしまうことを避けた気骨のある表現ではないかという気もします。またそういう表現であるからこその切なさもあると思います。同じような感触を『ごろはちだいみょうじん』という絵本でも感じました。
幅広い年齢に
このお話は小学校の二年生の教科書にのっていた事があるそうですよ。対象年齢は『5歳から』にしました。深く理解するのは難しいでしょうけど5歳位でもその年齢なりに楽しめるでしょうし、もっと大きくなってからでももっと理解が深まりながら十分楽しめますし、大人が読んでも素晴らしい作品と言っていただけると思います。
この作品では、キツネの心境がその都度、そして徐々に変化していくさまがその表情の中に巧みに表されています。また絵をよく見てみると筋とは関係ないところに虫やカタツムリなどが添えられていて子どもは興味を持ちそうです。昔話にぴったりの絵柄でもあります。この絵を書いた二俣英五郎さんの作品を他にも紹介しています。 → 『とりかえっこ』こちらはとてもコミカルな作品です。
あまんきみこさんの作品も他にもご紹介しています。 → 『ちいちゃんのかげおくり』『おにたのぼうし』
『きつねのおきゃくさま』は音楽劇として演じられてもいるようです。CDや楽譜も販売されています。例えばこんなの → こちら
他の『5歳から』の絵本一覧
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