
再話 瀬田貞二
画 赤羽末吉
発行 福音館書店
初版 1966/11/15
対象年齢 4歳から
文字の量 やや少なめ
ページ数 20
発行部数 不明
オススメ度 B
昔あるところに貧乏なおじいさんとおばあさんが二人で暮らしていました。おじいさんは編笠を作って売る仕事をしていました。
大晦日。おじいさんは5つの編笠を持って町へ売りに出かけました。そのお金で餅を買って年を越そうと考えていました。
ところが大晦日でにぎやかな町では魚や米は売れているのに、おじいさんの編笠はまったく売れません。その内雪が降ってきました。おじいさんはあきらめて帰ることにします。
帰る途中、吹雪の中で6体のお地蔵様の前を通りました。吹雪にさらされるお地蔵様を見たおじいさんは売れ残った編笠をお地蔵様に被せて、一つ足りない分は自分が身につけていた編笠を被せて、家に帰りました。
家に帰るとおばあさんは良いことをしたと出迎えました。二人はただ漬物とご飯だけで食事を済ませ、寝てしまいました。
日本の昔話の中で特に私がこれは名作だと思うのが、『さんまいのおふだ』『おむすびころりん』そして、本作のかさじぞうです。『さんまいのおふだ』はホラーとアクションの醍醐味ドキドキを感じられ、『おむすびころりん』は楽しく不思議な地下の世界に魅せられます。そして本作では、おじいさんとおばあさんの人間性に打たれるのです。ザ・昔話とも言える本作、おすすめしますよ。
人間は苦難にあった時にその性格が表れるものです。自分の日常を振り返ってもそう思います。しかしこのおじいさんとおばあさんは苦難に際しても人間として大事な部分を損なうことなく自然体で生きています。おじいさんは売れ残った編笠をお地蔵様に被せてあげます。(しかも自分の被っていた編笠までお地蔵様にあげるところがまたよくできた話です。)しかしおばあさんに餅を食べさせてあげることもできなくなって吹雪の中を帰る時にそんな考えに普通なるでしょうか。おばあさんはおばあさんで、手ぶらで帰ってきたおじいさんを良いことをしたと温かく迎えます。そんな事普通言えるでしょうか。それもごく自然にです。
小学生の時に『ああ無情(レ・ミゼラブル)』の紙芝居を見ました。一宿一飯の恩義がある教会から銀の燭台を盗み出したジャン・バルジャン。捕まって警官に連れてこられた時に神父は「これは彼にあげたものです」と答えました。あの衝撃と似たものを私はこのお話に感じてしまいます。
その後のお話です。元日の明け方、遠くからそりを引いてくる人の掛け声が聞こえ、それがおじいさんの家に近づいてきます。どうやらお地蔵様に編笠をかけたおじいさんの家を探しているようです。おじいさんが雨戸を開けると、6人の編笠を被った人達が重い荷物をおじいさんの家の前に下ろして帰っていきました。荷物は魚や餅やお金でした。おじいさんとおばあさんはそれから幸せに暮らしたということです。
こんないい人達が大晦日に漬物とご飯だけ食べて寝てしまうなんて、なんとも割り切れない切ない状況。でも最後に報われてホントによかった。読者も一緒に喜べますね。
本書の最後はこう結ばれています。
私だけかも知れませんが個人的にここに若干の違和感を感じてしまいます。それまでのおじいさんとおばあさんは不幸であったと言うような感じがどうも収まりが悪い気がします。正月に餅も食べられないほどの困窮は苦難には違いないでしょう。貧しいが故の苦労がなくなり、おじいさんおばあさんにしたらとても助かったことでしょう。だからこそお地蔵様のお返しはとても嬉しい喜ばしい出来事なのはわかります。でもお互いがお互いに優しさと気遣いをもって接し、おおらかに生きていた二人に『しあわせになった』という言葉は、それまでが不幸だったと決めつけるようでどうも微妙に似つかわしくないような気がするのです。『楽な暮らしになった』とか『幸せに暮らした』の方がいいんじゃないかと。考えすぎですかね(汗)
かさじぞうはこの福音館書店の作品の他にも数多くの絵本が出版されています。もちろんその全部を見て比較したわけではありませんが、それでも本作はお話に余計な脚色を加えていないシンプルなところ、そして赤羽末吉さんの絵がいいという事で選びました。このお話は下手に感動を誘おうとする作為を含んだ脚色はそぐわないと思います。そういう類の人間の作為とは無縁の世界を描いているからです。そういう意味で本作は丁寧に物語の雰囲気を伝えながらも簡潔にあっさりめに語られるところがいいと思いました。あと絵がいいですね。私は雪国で生まれ育ったのでなおさらそう感じるのかもしれません。重く垂れ込めた雪雲、吹雪いて横に流れてくる雪、いかにも積もりそうなぼたん雪、その描き方に郷愁とともにその場の空気まで感じられます。墨で描いたのかな。懐かしい感じのするタッチです。漫画みたいな絵の絵本では、この物語の世界を伝えることはできないと思います。お地蔵様の表情までかき分けているのが面白いです。各見開き2ページに渡る絵がすべて扇形に描かれているのも、和の感じ、読者が上の視点からおじいさん達の様子を見守るような感じがいいと思います。物語の最初に頭に雪を乗せたお地蔵様、物語の最後に編笠を被ったお地蔵様をポツンと描いているのも、象徴的でいいですね。
私の子どもの頃、よくカブトムシやクワガタを探しに行った山の入口にお地蔵様が並んでいました。そしてこのお話にも少し似た不思議な経験をしたことがあります。私のような田舎なら今でもお地蔵様は比較的身近な存在かも知れませんが、都会に住む子どもにはお地蔵様自体馴染みがなくて、もしかしたら説明が必要かもしれませんね。
文章には昔話的な言い回しや方言が含まれますが、子どもが理解しにくいほどのレベルではありません。普段使わないような言葉使いもありますから親御さんは読み聞かせにくい部分は若干あるかな。まあゆっくり落ち着いて読めば大丈夫です。
もうすぐ年末ですね。ちょうどこのお話と時期的に重なります。こんな時にお子さんに本書を読み聞かせしてあげてはいかがでしょうか。
画 赤羽末吉
発行 福音館書店
初版 1966/11/15
対象年齢 4歳から
文字の量 やや少なめ
ページ数 20
発行部数 不明
オススメ度 B
かさじぞう のあらすじ・内容
昔あるところに貧乏なおじいさんとおばあさんが二人で暮らしていました。おじいさんは編笠を作って売る仕事をしていました。
大晦日。おじいさんは5つの編笠を持って町へ売りに出かけました。そのお金で餅を買って年を越そうと考えていました。
ところが大晦日でにぎやかな町では魚や米は売れているのに、おじいさんの編笠はまったく売れません。その内雪が降ってきました。おじいさんはあきらめて帰ることにします。
帰る途中、吹雪の中で6体のお地蔵様の前を通りました。吹雪にさらされるお地蔵様を見たおじいさんは売れ残った編笠をお地蔵様に被せて、一つ足りない分は自分が身につけていた編笠を被せて、家に帰りました。
家に帰るとおばあさんは良いことをしたと出迎えました。二人はただ漬物とご飯だけで食事を済ませ、寝てしまいました。
かさじぞう の解説・感想
私が特に好きな名作昔話のひとつ
日本の昔話の中で特に私がこれは名作だと思うのが、『さんまいのおふだ』『おむすびころりん』そして、本作のかさじぞうです。『さんまいのおふだ』はホラーとアクションの醍醐味ドキドキを感じられ、『おむすびころりん』は楽しく不思議な地下の世界に魅せられます。そして本作では、おじいさんとおばあさんの人間性に打たれるのです。ザ・昔話とも言える本作、おすすめしますよ。
おじいさんおばあさんの人柄が好き
人間は苦難にあった時にその性格が表れるものです。自分の日常を振り返ってもそう思います。しかしこのおじいさんとおばあさんは苦難に際しても人間として大事な部分を損なうことなく自然体で生きています。おじいさんは売れ残った編笠をお地蔵様に被せてあげます。(しかも自分の被っていた編笠までお地蔵様にあげるところがまたよくできた話です。)しかしおばあさんに餅を食べさせてあげることもできなくなって吹雪の中を帰る時にそんな考えに普通なるでしょうか。おばあさんはおばあさんで、手ぶらで帰ってきたおじいさんを良いことをしたと温かく迎えます。そんな事普通言えるでしょうか。それもごく自然にです。
小学生の時に『ああ無情(レ・ミゼラブル)』の紙芝居を見ました。一宿一飯の恩義がある教会から銀の燭台を盗み出したジャン・バルジャン。捕まって警官に連れてこられた時に神父は「これは彼にあげたものです」と答えました。あの衝撃と似たものを私はこのお話に感じてしまいます。
報われてよかった
その後のお話です。元日の明け方、遠くからそりを引いてくる人の掛け声が聞こえ、それがおじいさんの家に近づいてきます。どうやらお地蔵様に編笠をかけたおじいさんの家を探しているようです。おじいさんが雨戸を開けると、6人の編笠を被った人達が重い荷物をおじいさんの家の前に下ろして帰っていきました。荷物は魚や餅やお金でした。おじいさんとおばあさんはそれから幸せに暮らしたということです。
こんないい人達が大晦日に漬物とご飯だけ食べて寝てしまうなんて、なんとも割り切れない切ない状況。でも最後に報われてホントによかった。読者も一緒に喜べますね。
個人的に若干違和感が
本書の最後はこう結ばれています。
それから ふたりは、しあわせになったとさ。どっとはらい。
私だけかも知れませんが個人的にここに若干の違和感を感じてしまいます。それまでのおじいさんとおばあさんは不幸であったと言うような感じがどうも収まりが悪い気がします。正月に餅も食べられないほどの困窮は苦難には違いないでしょう。貧しいが故の苦労がなくなり、おじいさんおばあさんにしたらとても助かったことでしょう。だからこそお地蔵様のお返しはとても嬉しい喜ばしい出来事なのはわかります。でもお互いがお互いに優しさと気遣いをもって接し、おおらかに生きていた二人に『しあわせになった』という言葉は、それまでが不幸だったと決めつけるようでどうも微妙に似つかわしくないような気がするのです。『楽な暮らしになった』とか『幸せに暮らした』の方がいいんじゃないかと。考えすぎですかね(汗)
かさじぞうは他にも数多く出てるけど本作が一番
かさじぞうはこの福音館書店の作品の他にも数多くの絵本が出版されています。もちろんその全部を見て比較したわけではありませんが、それでも本作はお話に余計な脚色を加えていないシンプルなところ、そして赤羽末吉さんの絵がいいという事で選びました。このお話は下手に感動を誘おうとする作為を含んだ脚色はそぐわないと思います。そういう類の人間の作為とは無縁の世界を描いているからです。そういう意味で本作は丁寧に物語の雰囲気を伝えながらも簡潔にあっさりめに語られるところがいいと思いました。あと絵がいいですね。私は雪国で生まれ育ったのでなおさらそう感じるのかもしれません。重く垂れ込めた雪雲、吹雪いて横に流れてくる雪、いかにも積もりそうなぼたん雪、その描き方に郷愁とともにその場の空気まで感じられます。墨で描いたのかな。懐かしい感じのするタッチです。漫画みたいな絵の絵本では、この物語の世界を伝えることはできないと思います。お地蔵様の表情までかき分けているのが面白いです。各見開き2ページに渡る絵がすべて扇形に描かれているのも、和の感じ、読者が上の視点からおじいさん達の様子を見守るような感じがいいと思います。物語の最初に頭に雪を乗せたお地蔵様、物語の最後に編笠を被ったお地蔵様をポツンと描いているのも、象徴的でいいですね。
私の子どもの頃、よくカブトムシやクワガタを探しに行った山の入口にお地蔵様が並んでいました。そしてこのお話にも少し似た不思議な経験をしたことがあります。私のような田舎なら今でもお地蔵様は比較的身近な存在かも知れませんが、都会に住む子どもにはお地蔵様自体馴染みがなくて、もしかしたら説明が必要かもしれませんね。
文章には昔話的な言い回しや方言が含まれますが、子どもが理解しにくいほどのレベルではありません。普段使わないような言葉使いもありますから親御さんは読み聞かせにくい部分は若干あるかな。まあゆっくり落ち着いて読めば大丈夫です。
もうすぐ年末ですね。ちょうどこのお話と時期的に重なります。こんな時にお子さんに本書を読み聞かせしてあげてはいかがでしょうか。
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