作 あまんきみこ
絵 いわさきちひろ
発行 ポプラ社
初版 1969/7/
対象年齢 4歳から
文字の量 かなり少なめ
ページ数 32
発行部数 不明
オススメ度 B
節分の夜、まこと君が豆まきを始めました。家中丁寧に豆をまきます。外の物置小屋にもまかなくちゃ。
ところが物置小屋の天井には鬼の『おにた』がすみついていました。おにたは気のいい鬼で、陰でまこと君の家族に色々といい事をしてくれていましたが、恥ずかしがり屋なのでそれが自分の仕業だとは気づかれないようにしていました。
「鬼だって色んなのがいる。鬼だからってみんな悪いと決めつけないでほしいな」そう思いながら、おにたはツノを隠すための麦わら帽子をかぶって、まこと君の家を出ました。
雪が降る中を次にすみつく家を探します。そして一軒の家を見つけました。豆の匂いがしないし、鬼が苦手なヒイラギも飾ってありません。中から女の子が出てきて、洗面器に雪をすくっていきました。おにたは家の中に忍び込んで様子を見ます。
家の中では女の子のお母さんが布団に入って寝ていました。熱があり、雪は熱冷ましに使っていたのです。お母さんが女の子に「お腹が空いたでしょう?」と声をかけました。女の子は顔を横に振りました。お母さんが寝ている時に知らない男の子が来て、節分のご馳走が余ったと言って、赤ご飯とうぐいす豆を持ってきてくれたのだと答えます。お母さんは安心したかのように、また眠り始めました。
おにたは台所の様子を見てみましたが、女の子が何か食べたような様子はありません。食べ物は何もないようです。おにたは急いで外へ出ました。
しばらくすると、麦わら帽子をかぶった知らない男の子がこの家を訪ねてきました。節分の料理が余ったと言って、赤ご飯とうぐいす豆を持ってきてくれたのです。女の子はぱっと顔が明るくなりました。
しかし、箸を持った女の子が次に言った言葉は…
あまんきみこさんはあとがきでこう語っています。
追い出される鬼のことを心配する子どもだったんですね。あまんきみこさんは一般の人のスタンダードな視点とはちょっと違う視点で物事を見る絵本作家さんという印象があります。でもそのちょっと違う視点で捉えるものは。人が見過ごしてしまう人間らしい人間の姿。誰にも覚えのある気持ちであったり、自分の経験と重なる出来事だったりするのです。
『どこかこっけいで、そして、いささか哀れ』という言葉にも表れていますけど、良い悪いという二元論で割り切れない世の中、そして嬉しいとか悲しいとかいうように一言で表現できないような複雑な感情を描いた作品が多いです。また、普通絵本の中でスポットライトを浴びることがないようなキャラクターを扱うことも多いです。本書もその中の一つ。いわゆる普通の子ども向け絵本とは視点がちょっぴり違います。深みがあります。豆まきの時に鬼のことを心配するようなお子さんはもちろん感情移入して楽しめるでしょうけど、そうでないお子さんには新たな視点を与えることになるでしょう。そして読後にはおにたの心に寄り添っていることでしょう。
その後、女の子はなんの悪気もなく、豆まきがしたいと口にします。鬼が来るとお母さんの病気が悪くなるからと。おにたは悲しげな素振りをした後ふっとその場からいなくなります。麦わら帽子と共に『あるもの』をその場に残して。『あるもの』がなんなのかは絵本を手にとってご確認ください。おにたの悲しさと優しさがそこには詰まっているはずですが、その事には一切触れられません。
誰も彼も悪気があるわけじゃないんですよね。でも悪気がなくても知らぬ間に人を傷つけてしまう事もあります。おにたはその後どうしたのでしょう。大事な麦わら帽子さえも置いたまま。もしかしたら『あるもの』とはおにた自身なのかも知れませんが、なんとなく匂わせるだけで具体的な言及はありません。今後女の子がおにたの正体と気持ちを知ることはないでしょう。以後、作品中でおにたのその先にはもうまったく触れられずにお話は終ることになります。読者はこの状態のまま放っておかれることになります。放っておかれることで、何かを考えたり感じたりするきっかけになればそれこそがこの絵本から読者への贈りものなのかも知れません。今は幼い読者が今後人生を生きていく中で、この絵本を読んだ経験が活きてくることもあるかも知れません。
とても切ないお話なんですけど、おにたが可哀想!だけじゃないんです。ラストは静かで清らかでどこかに温かさを感じる不思議な空気をまとっているんです。神様の見守りの視点とでもいうようなものを感じます。うまく言葉にならないんですけど、このラストはものすごい切れ味だなと思いました。
いわさきちひろさんの叙情的で淡い色彩の絵が、この泡のように消えていった小さな切ない出来事にマッチしているように思います。
ポプラ社のサイトでは対象年齢が3~5歳となっていました。私が考えた末に4歳からとしました。表と裏があるお話だからちょっと難しく、言葉通りの解釈だけでは面白味もないだろうと思いまして。4歳なら大丈夫かと言うとそこもなんとも言えないのですが…。でも子どもって案外鋭いところもありますからね。どうでしょう。
因みに文章には漢字とカタカナがほんの少々ありますが、いずれもひらがなでふりがながふってあります。
この作品は小学校の教科書にも載ったことがあるそうです。あまんきみこさんは他にも数作が教科書に採用されています。
あまんきみこさんの作品を他にもご紹介しています。 → 『きつねのおきゃくさま』『ちいちゃんのかげおくり』
この絵本のような切なさを持った作品を他にもご紹介しています。 → 『泣いた赤おに』『島ひきおに』 全部鬼の話ですね。偶然ではない気がします。
絵 いわさきちひろ
発行 ポプラ社
初版 1969/7/
対象年齢 4歳から
文字の量 かなり少なめ
ページ数 32
発行部数 不明
オススメ度 B
おにたのぼうし のあらすじ・内容
節分の夜、まこと君が豆まきを始めました。家中丁寧に豆をまきます。外の物置小屋にもまかなくちゃ。
ところが物置小屋の天井には鬼の『おにた』がすみついていました。おにたは気のいい鬼で、陰でまこと君の家族に色々といい事をしてくれていましたが、恥ずかしがり屋なのでそれが自分の仕業だとは気づかれないようにしていました。
「鬼だって色んなのがいる。鬼だからってみんな悪いと決めつけないでほしいな」そう思いながら、おにたはツノを隠すための麦わら帽子をかぶって、まこと君の家を出ました。
雪が降る中を次にすみつく家を探します。そして一軒の家を見つけました。豆の匂いがしないし、鬼が苦手なヒイラギも飾ってありません。中から女の子が出てきて、洗面器に雪をすくっていきました。おにたは家の中に忍び込んで様子を見ます。
家の中では女の子のお母さんが布団に入って寝ていました。熱があり、雪は熱冷ましに使っていたのです。お母さんが女の子に「お腹が空いたでしょう?」と声をかけました。女の子は顔を横に振りました。お母さんが寝ている時に知らない男の子が来て、節分のご馳走が余ったと言って、赤ご飯とうぐいす豆を持ってきてくれたのだと答えます。お母さんは安心したかのように、また眠り始めました。
おにたは台所の様子を見てみましたが、女の子が何か食べたような様子はありません。食べ物は何もないようです。おにたは急いで外へ出ました。
しばらくすると、麦わら帽子をかぶった知らない男の子がこの家を訪ねてきました。節分の料理が余ったと言って、赤ご飯とうぐいす豆を持ってきてくれたのです。女の子はぱっと顔が明るくなりました。
しかし、箸を持った女の子が次に言った言葉は…
おにたのぼうし の解説・感想
作者は見過ごされがちな人の気持ちを拾い上げる名人
あまんきみこさんはあとがきでこう語っています。
子どものころ、わたしは豆をまきながら、追いだされるオニのことを思いました。家のまどのすきまからにげだしていくオニどものイメージは、どこかこっけいで、そして、いささか哀れでした。
追い出される鬼のことを心配する子どもだったんですね。あまんきみこさんは一般の人のスタンダードな視点とはちょっと違う視点で物事を見る絵本作家さんという印象があります。でもそのちょっと違う視点で捉えるものは。人が見過ごしてしまう人間らしい人間の姿。誰にも覚えのある気持ちであったり、自分の経験と重なる出来事だったりするのです。
視点が独特で深みがある
『どこかこっけいで、そして、いささか哀れ』という言葉にも表れていますけど、良い悪いという二元論で割り切れない世の中、そして嬉しいとか悲しいとかいうように一言で表現できないような複雑な感情を描いた作品が多いです。また、普通絵本の中でスポットライトを浴びることがないようなキャラクターを扱うことも多いです。本書もその中の一つ。いわゆる普通の子ども向け絵本とは視点がちょっぴり違います。深みがあります。豆まきの時に鬼のことを心配するようなお子さんはもちろん感情移入して楽しめるでしょうけど、そうでないお子さんには新たな視点を与えることになるでしょう。そして読後にはおにたの心に寄り添っていることでしょう。
秘すれば花
その後、女の子はなんの悪気もなく、豆まきがしたいと口にします。鬼が来るとお母さんの病気が悪くなるからと。おにたは悲しげな素振りをした後ふっとその場からいなくなります。麦わら帽子と共に『あるもの』をその場に残して。『あるもの』がなんなのかは絵本を手にとってご確認ください。おにたの悲しさと優しさがそこには詰まっているはずですが、その事には一切触れられません。
誰も彼も悪気があるわけじゃないんですよね。でも悪気がなくても知らぬ間に人を傷つけてしまう事もあります。おにたはその後どうしたのでしょう。大事な麦わら帽子さえも置いたまま。もしかしたら『あるもの』とはおにた自身なのかも知れませんが、なんとなく匂わせるだけで具体的な言及はありません。今後女の子がおにたの正体と気持ちを知ることはないでしょう。以後、作品中でおにたのその先にはもうまったく触れられずにお話は終ることになります。読者はこの状態のまま放っておかれることになります。放っておかれることで、何かを考えたり感じたりするきっかけになればそれこそがこの絵本から読者への贈りものなのかも知れません。今は幼い読者が今後人生を生きていく中で、この絵本を読んだ経験が活きてくることもあるかも知れません。
ラストがすごい
とても切ないお話なんですけど、おにたが可哀想!だけじゃないんです。ラストは静かで清らかでどこかに温かさを感じる不思議な空気をまとっているんです。神様の見守りの視点とでもいうようなものを感じます。うまく言葉にならないんですけど、このラストはものすごい切れ味だなと思いました。
いわさきちひろさんの絵がピッタリ
いわさきちひろさんの叙情的で淡い色彩の絵が、この泡のように消えていった小さな切ない出来事にマッチしているように思います。
対象年齢については悩む…
ポプラ社のサイトでは対象年齢が3~5歳となっていました。私が考えた末に4歳からとしました。表と裏があるお話だからちょっと難しく、言葉通りの解釈だけでは面白味もないだろうと思いまして。4歳なら大丈夫かと言うとそこもなんとも言えないのですが…。でも子どもって案外鋭いところもありますからね。どうでしょう。
因みに文章には漢字とカタカナがほんの少々ありますが、いずれもひらがなでふりがながふってあります。
この作品は小学校の教科書にも載ったことがあるそうです。あまんきみこさんは他にも数作が教科書に採用されています。
あまんきみこさんの作品を他にもご紹介しています。 → 『きつねのおきゃくさま』『ちいちゃんのかげおくり』
この絵本のような切なさを持った作品を他にもご紹介しています。 → 『泣いた赤おに』『島ひきおに』 全部鬼の話ですね。偶然ではない気がします。
コメント